2011年07月23日

骨髄移植手術後の患部写真・・・

先ほどパソコンのハードディスクを整理していたら、こんな写真を見つけました。




今から5年ぐらい前に、私は骨髄移植手術を受けました(提供されたほうではなくて、提供したほうです)。




手術後二日で退院できるので、帰宅後、自分の目では手術した幹部を直接見ることができないので、妹がちょうど来ていたので写真を撮ってもらいました。




で、その写真がこれです↓



f06.jpg


メタボ腹に見えますが、これはお尻の上辺りで腰より少し下の部分です。




普段はキュッと締まったカワイイお尻なのですが、このときは手術後なので浮腫んでいてメタボ腹に見えるのです。




そのカワイイお尻が見てみたいという方は、残念ながら有料となりますのでご了承ください。





・・・・・・・・・。





はい、話を戻します。




手術は全身麻酔で行い、腰の辺りの骨にそれはそれは太い針を刺して、骨髄液を採取します。



写真で見てもらうとわかるのですが、傷口は4箇所です。



f07.jpg



しかし、針を刺してそこから骨髄液が出なくなったら、針を皮膚から抜き取らず、そのまま皮下で針の向きを変えて別の部分に刺して採取していきます。



ですので、骨には無数の穴が開いているのだと思います。





痛みは一週間ぐらい続きましたが、激痛というよりも鈍痛だったので、日常生活も特別支障はありませんでした。






という、懐かしい痛々しい写真が出てきたので、アップしてみました。





今後、骨髄移植をされる方・・・・、それほど痛いことではないので、勇気はいるかと思いますが、必ず自分のためにも人のためにもなると思うので、私はおすすめしますよ〜。





追伸:ちなみにHLA型(ヒト白血球型抗原)の組み合わせには数万通りあり、まったくの赤の他人同士では数百もしくは数万分の1の確率でしか一致しないにもかかわらず、手術後、私に新たに提供のオファーが2回もありました。



なんという奇跡。



しかし、ドナー候補者がその他にも居るとのことで、2回とも保留になりました。



なので、もし私が白血病になってもその人たちから提供してもらえるかもしれない☆




これも奇跡ですねえ。





こんな奇跡ばかりの私ですが、ときどき買う宝くじにはなかなか奇跡は起きてません・・・・。




 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 15:45| 魂の修行

2011年02月04日

トイレ掃除・・・

いまyahooのサイトを見たら、トイレ掃除のことが載ってました。



☆yahooの記事↓
トイレ掃除を“する”か“しない”かで世帯年収に90万円の差!?



知っている人もいるかと思いますが、実は私も5年ぐらい前からやっています。



素手でスポンジを使って、ゴシゴシと。



それ以来、人間関係がものすごく良くなり、私のまわりには素敵な人ばかりになってしまいました。



お金は今のところ、いまいちですが、いずれそのうち!!



でも、本当に人間関係が良すぎて困っちゃうぐらいです。



もしくは、嫌な人が自分の前に現れなくなったというのもあるかもしれません。




思い切ってトイレの便器の水中に、手をダイブ!させると、心の殻がパリパリと割れてツルツルになった感じがしました。



心の垢が取れたというか。



それ以来ずっと続けていると、当たり前になり、ライフワークになり、そして楽しくなってきます。なぜだかわかりませんが。



北野武さんも和田アキコさんも、昔からやっているらしいです。



あ!あと、運が良くなったというか、強運の持ち主になってしまったので、出会う人で会う人がいい人ばかり、ということにもつながっています。



いいことだらけです。



今回トイレ掃除のことを載せたのは、やったほうがいいですよということではなく、自分が実行してどれだけ楽しいか自慢したかっただけ・・・。




ということで、トイレ掃除には不思議な力があるみたいです。





P.S. トイレ掃除した後は、手をきれいに洗ってますよ(笑)そして、そのゴッドハンドで絵を描いてます(笑)

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 01:58| 魂の修行

2010年11月23日

骨髄移植患者からの手紙

 私は、平成○○年○○月○日に○○病院で骨髄移植提供をしました(※○○の部分は公表してはいけないことになっているので、公表しません)。


 私は2003年に、骨髄バンクにドナー登録しました。登録には簡単な血液検査などをして、問題がなければ骨髄バンクから後日登録完了の通知が来ます。登録後、数年経ちましたが骨髄提供の依頼はなく、そのことは頭の中からすっかり消えていました。


 そんなある日、骨髄バンクから分厚い封筒が送られてきました。中を見ると骨髄移植に伴う重要書類が入っていました。書類に目を通し、誰かのお役に立てると思ったので大変嬉しくなりました。しかし、移植に伴うリスクもないわけではありませんでした。最悪の場合は死亡し、後遺症などが残ることが稀にあるとのことです。一瞬どうしようかと迷いましたが、人間は死ぬときは死ぬと思っているので不安はすぐに消えました。もしそのときが死ぬときなら、バナナの皮で滑って豆腐の角で頭を打って死ぬより、骨髄移植で死んだほうがカッコいいよなと思いました。これは神さまから試されているなと思ったので、すぐに承諾し書類を送りました。


 数ヵ月後、何度も精密検査をしに病院に通い、家族同伴で最終同意書にサインをしました。この時から、骨髄提供を受ける患者は非常に苦しい提供の準備に入るので、同意書にサインをした後に取り消すと患者の命にかかわります。サイン後は、怪我や病気がないように健康管理に十分注意していました。


 骨髄提供日の前日に○○病院に入院しました。健康な状態で入院するので、何か変な感じがしました。手術前夜、麻酔科の先生が麻酔に伴う最終同意書を持ってきました。最悪なことを想定したことが箇条書きで書かれていて、最後に「同意する」と「今回は見合わせる」というのがありました。ここでやめるわけにはいかないだろう・・・と思い、同意書にサインをして、あとは提供手術を受けるだけになりました。


 後日、コーディネーターの方から患者さんの大まかな情報を聞きました(名前や住所などは教えてもらえない)。中国地方に住む40代女性ということでした。

 部屋には自分ひとりになりました。本を読んでもなかなか進まず、人生最後になるかもしれない大好きなロッテパイの実を食べようと手を伸ばしましたが、そういえば前夜は絶食だったなと思い出し、仕方がないので日記を書いて寝ました。


 目が覚めると提供日になっていました。移植手術は朝だったので、手術着に着替えました。全裸になり三角帯(※いわゆるフンドシ)を着け、足の血液を圧迫するための白いハイソックスを履きました。こんな格好で手術室まで歩いて行けと言われたら人生最大の屈辱だな、などとくだらない想像していました。最後に白衣を羽織って、担架で手術室まで移動しました。

(※三角帯とは最初何のことだか知らず、若い女看護士さんに聞くと「フンドシです」と教えてくれました。私が恥ずかしそうにしていると、その看護士さんはフンドシの着け方をダイナミックに実演してくれました。看護士さんってすごいな〜と感心しました・・・)


 手術室に入り、台に寝かされたあとすごく太い針を腕に刺されました。全身麻酔のマスクをつけられる前、自分をリラックスさせるために先生に聞きました。
 「先生、アメリカでも手術をするときフンドシをつけるのでしょうか?」
先生は言いました。
 「はい。アメリカでは、星条旗のフンドシをします」と答えてくれたので、面白くて心が緩みました。
するともう一人の非常にまじめな先生がやって来て真顔で、
 「それは嘘ですよ!」と本気で言ったので、これまた死ぬほど面白くて非常にリラックスできました。


 「麻酔のマスクをつけたあと、深く呼吸をしてください。3回ぐらいで意識がなくなりますからね」といわれたので、頑張って5回はいこう!と思いましたが、3回で意識がなくなりました。


 このとき心の中で「みなさん、今までありがとう。今までの僕の人生は最高でした。神さま、これからも宜しくお願いします」というと、「はーい」と人間の声ではない何者かの返事が聞こえたのでびっくりしました。本当に聞こえました。


 目が覚めると手術は終わっていました。このときの「生かされた!」という感動の喜びは、ボリビアで死にそうになったとき以来でした。この日から更に、普通でいられるということがどれだけ有難いことなのかを強く実感するようになりました。


 3日間入院し、4日目には退院しました。腰には4箇所針を刺した傷口が残っていますが、ヌード写真を撮るわけではないので気になりません。1ヶ月は痛みがありましたが、これも普通でいられることがどれだけすばらしいか気づかせてくれる痛みなので感謝していました。

 骨髄移植では、私の骨盤から900ccの骨髄を採取したそうです。その骨髄は早速、骨髄バンクの人が中国地方の40代女性の患者さんのいる病院へ届けました。



 腰の痛みも消えかかった頃、骨髄バンクから封筒が届きました。きっと患者さんからの手紙だなと思い封を切ると、やはりその通りでした。その手紙には次のように書いてありました。
 以下そのまま載せます。


+++++++++++++


 この度は妻の移植に際して、骨髄の提供誠にありがとうございました。
 あなた様には、多大な苦痛と、提供に至る迄の過程において数々のプレッシャーがあった事、申し訳なく思っております。

 本来ならば妻と一緒にお礼の手紙を書こうと言っていたのですが、それも叶わなくなりました。

 折角、骨髄の提供を頂きながら、あなた様のご好意にお応えできなかった事は残念でなりませんが、世の中には適合するドナー様が見つからず、命を落とされる方も多々おられる中、妻の場合あなた様のように殆ど完璧な迄に適合する方がおられ、提供頂いた事、又多くの医療機関、移植推進財団の方にも支えて頂いた事は何よりも幸せだったと思います。

 あなた様には、寒さ厳しい折お体にご自愛ください。
 本当にありがとうございました。


平成○○年○○月○日に
提供を受けた妻の夫


++++++++++++


 このようなことを知ると、生きていられるだけでどれほど有難いかということに気がつきますが、なぜ私たちは、悩み苦しみ、不平不満を言ってしまうのでしょうか。
 
 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2009年07月27日

余命1ヶ月の花嫁・・・

先日、本屋さんで「余命1ヶ月の花嫁」の文庫を買って読みました。


「生きている」ということを考えさせられました。


私は、テレビ番組や映画は観たことがなかったので、どこかに動画はないかなあと探していたらありました↓


千恵さんが苦しんでいるとき、お父さんは千恵さんの背中を手でなでていました。


すると不思議と楽になったそうです。


手からは、不思議な力が出ているみたいです。
















































posted by ハナムラ・ヒロユキ at 23:20| 魂の修行

2009年07月01日

私の過去世退行催眠

2009年6月30日に私は、過去世退行催眠を受けました。


特別に悩みや問題を抱えているわけではないのですが、みんなに「生まれ変わりっていうのがあってねえ〜」などと話している割には自分では経験したことがないし、何年も前から一度はやってみたいという思いが、今回受ける動機になりました。


ある程度、催眠についての本はたくさん読んでいるので、それほど詳しい説明も必要ではなかったし、悩みなどもないので、簡単な説明を受けてから退行催眠が始まりました。


催眠状態というのは、身体はとてもリラックスしていて眠っている状態ですが、意識ははっきりあって、普通に受け答えができます。


そして退行催眠開始。


まず、深い催眠状態まで先生に誘導してもらいました。











最初に見た人生は、砂漠のような乾いた土地に、私は麻のローブのようなものを着て立っていました。


このときの私は青年男性で、妻と3歳の息子の3人で暮らしていました。


この人生では、特別必要な事柄は感じられませんでした。







そして、別の人生に移りました。







私は、23歳の青い目をした髪の長い女の子(自分でいうのもなんですが、すごく美人)で、かなり昔の地中海の国に住んでいました。


私は、人通りの多い道に立って町の様子を眺めていました。


私はときどき、廃墟になった家を訪れていたようです。



先生の誘導で、この人生で一番心に残っている場面に移ってくださいと言われました。






私は、この人生の6歳の時に退行しました。


家族8人で楽しく食事をしていました。


この家族は、私が女の子だということ以外は、今の家族構成とまったく同じでした(姿は外国人で顔も今と違いますが、なぜかそれが今と同じ家族だということがわかる)


ちなみに、家族構成は、祖父、祖母、父、母、姉、妹、弟です(現在の私は、四人兄弟の長男)


このとき、遠い国で戦争があったようで、父はそのことを心配しているようでした。


6歳の私は、家族みんなが大好きで、父と母に「いつまでもずっと一緒にいてね」と言っていました。


このとき突然、23歳のときにときどき訪れていた廃墟は、みんなで暮らしていた家だとわかりました。






場面が進み、6歳の私は、誰も住んでいない廃墟と化したガランとした自分の家の前に立っていました。


あるとき突然、家族全員が死んでしまい(殺されたと思う)私一人だけが残され、深い悲しみの中で一人で泣いていました。とても辛く悲しい気持ちでした。


すると、家族で楽しく過ごした生活が思い出され、時代を超えて何百年か待ち望んだ「家族で楽しく過ごす」という願いが今の人生で叶えられている、ということがわかった瞬間、私の身体は熱くなり感極まって、大量の涙が出てきました。


(ハナムラ、男泣き・・・・)


6歳の女の子の傷ついた悲しい気持ちは、癒されたことがわかりました。







この人生の26歳のときに退行しました。


このときの私は、とてもやさしい夫がいましたが、子供はいませんでした。


幼い頃からずっと家族を失った悲しみを背負って生きていました。


夫はいつも私を励ましてくれましたが、私は悲しさで夫に笑顔を送ることができませんでした。


この時期からは、悲しみを長い間引きずっていると、いま目の前にいる人を大切にすることはできない、ということを学びました。








この人生の晩年に退行しました。


私は、白髪の老婆になっていました。


この時の私は、大勢の人たちに「笑顔で生きることの大切さ」「身の回りの幸せに気づくこと」「足るを知ること」「感謝すること」を説いていたようです。(なんか今の自分の考えと似てるなあと客観的に思いました)


私はみんなから尊敬され、愛されていたようです。









この人生で、自分が死んだときに退行しました。


私は、95歳で死んだようです。


部屋の中に石造りのベッドみたいな台があり、その上で私は寝かされていました。


ベッドの傍には、一人の中年男性が私の最後を看取ってくれていましたが、この人が誰か私にはわかりませんでした。


家の外では、大勢の人が集まっていました。


私は、自分の身体から離れると、すぐに光に包まれたような感じになりました。


その光の中は、とても暖かくて安らかな光でいっぱいの世界でした。










そして先生の誘導に従って、退行催眠は終了しました。


今の人生で大切だと思う過去世を思い出させてくれたようで、たくさんの気づきがありました。


私は、本当は、今の人生でなぜ空手をやって海外で生活したり、絵を描いているのかなどのヒントになる過去世が出てくるかと期待しましたが、それらは意思に反して出てきませんでした。


ですので、自分が見た過去世というのは、自分が意図的に想像したものではないということがわかります。


また、過去世を見るとはどんな感じかというと、例えば、昨日友達と食事に行って会話をしているところを思い出すと、なんとなく頭の中でそのときの場面が思い出されます。そんな感じで浮かんでくるのです。


今回の過去世退行催眠を体験して、新たな自分の人生の洞察が深まり、視野が広がったような気がします。


今後の人生に活かしていきたいと思います。



以上が、私の過去世退行催眠の実話でした。

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 02:17| 魂の修行

2009年04月08日

身体と行いの因果関係・・・

今回は、身体と行いの因果関係です。


思い当たることがあったら生活を見直したほうがいいかも、ということで、必ずこれらが原因だということはありませんのでご心配なく。


該当しない場合は、別のところに原因があります。



頭が痛い人・・・
目上の人(上司や親など)を嫌うと頭痛もちになる場合があります。
頭の右側が痛いという人は、目上の女性を嫌っている。
頭の左側が痛いという人は、目上の男性を嫌っている。


目にできものや症状が出る人・・・
誰か鬱陶しいがっている人がいる場合に、目に症状が出るようです。
右目に出れば、女性で嫌っている人がいる。
左目に出れば、男性で嫌っている人がいる。


耳が聞こえにくくなっている人・・・
うるさいなあと思っている人がまわりにいる場合。
例えば、会社で自分の席の右側にそのうるさい人がいる場合は、右耳が聞こえにくくなったりします。
食卓で妻が左に座っていて、いつもグチグチうるさいと思っていると、左耳が聞こえにくくなったりします。


肝臓を患う人・・・
どうでもいいような小さなことにすぐに怒ったり、そのことでいつまでもグチグチ言っていると肝臓を患うそうです。
肝臓を患うと、顔が青くなってくるので、そんなときは青い野菜を摂ります。
顔に出た色の野菜を摂ると治りやすくなるようです。


胃を患う人・・・
食べ物に感謝しないと胃を患うことがあるようです。
食べ物は肉でも野菜でももともとは生きていたものなので、その命に感謝ししないで当たり前のように食べていると、胃が悪くなるようです。


腎臓を患う人・・・
色々なことを怖がり過ぎる人。
神経過敏だと肝臓を患うようです。


肺を患う人・・・
物事を真剣に考え過ぎて、思い悩み過ぎると肺を患うそうです。
思い悩むだけだと、腸を患うそうです。
失恋したり誰かを亡くして悲しんで、痩せて色が白くなる人は、肺を患っているようです。


癌になる人・・・
頑固か頑張りすぎる人(思い当たらない人は別の因果です)。
些細なことにネチネチグチグチ言って、おまけに頑固だったりすると、肝臓に癌ができるそうです。
食べ物に感謝しないで、こだわってうるさいと、食道癌になるようです。


腰が痛い人・・・
目下の人に腹を立てている人は腰痛があるようです。


肩が痛い人・・・
親、兄弟、身内のことで揉め事が起きたり、腹を立てていると肩が痛くなってくるそうです。


子供が小児喘息・・・
その子の親かおじいちゃんやおばあちゃんに、人に息をつかせぬほど怒鳴りつける人がいたりすると、その子供に症状が出たりすることがあるようです。


子供がアトピー・・・
その子の両親のどちらかが、誰かのことをものすごく嫌ったりしていると、子供に症状が出ることがあるようです。


リュウマチ・・・
誰かをすごく恨んでいるか、すごく恨まれているとリュウマチになる可能性があるようです。


糖尿・・・
人を押しのけてグッと出てくるような人は、糖尿病になることがあるようです。
例えば、夫の補佐をしないでグッと出てくる妻や、社長の補佐をしなければいけないような人が、社長になったりする場合。
人の話を聞いている振りして本当は聞いてないで、人の話を押しのけて突然自分の話をしだしたりする人。


手に膨れが出る人・・・
自分の部下や子供など、手先に使っている人に腹を立ててグチグチ不満を言ってふくれていると、手に膨れが出るようです。


首がこる人・・・
信じてもらわなくてもいいのですが、死んだ人の霊が憑いていると、首がこったり痛くなったりするようです。


足の関節が痛む人・・・
これも信じてもらわなくてもいいのですが、腰から下が痛くなる場合、身内で浮かばれてない霊がいるようです。
その霊が女の人だと右足の膝だったり、男の人だったら左足の間接だったりするそうです。


引きこもりや不登校の子供がいる・・・
その子の親がまったく御墓参りに行かなかったり、先祖を大切にしていないとそうなることがあるようです。


痔の人・・・
いつもそわそわして落ち着かないと、痔になることがあるようです。


病気についてですが、精神的なことばかり直して食事の栄養を摂らなければ病気になってしまうので、心と身体に栄養を与えることが大切です。


以上、まったく信じてもらわなくてもいいのですが、もし思い当たることがあったら見直してみた方がいいかもしれませんよ〜ということでした。




posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:07| 魂の修行

2009年04月03日

幸せという字・・・

「幸」という字があります。


これは「しあわせ」という意味があります。


この文字の語源は「執」だそうです。


この「執」には、「とらえられること」「こだわること」という意味があります。


執着ということです。


分解すると「幸」+「丸」。


「幸」は象形文字で、昔使われていた手かせ(罪人の手にはめて自由にならないようにする刑具)から来ています。


「丸」も象形文字で、人が手と膝をついて、手かせをはめられている姿から来ています。


で、手かせから離れて自由になった姿が「幸せ」だということになります。


ということは、「こうじゃなきゃダメだ」と思っていることは執着しているということなので、そういう掴んで離さない頑なな心があると幸せにはなれないようです。


幸せへの道は、執着をなくすことと言えそうです。

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:10| 魂の修行

2009年04月02日

おかげさま・・・

私たちの頭の右上45度の角度、40センチのところに、一人に一つというか一人、守護霊さんがついています。


潜在意識と言ったりもします。


その守護霊さんは、私たちを守ってくれると同時に、思いを叶えてくれるようです。


もう少し詳しく説明すると、言ったことや考えていることを叶えてくれます。


守護霊さんには、良い悪いの区別が付かないので、言ったことや思ったことは何でも実現してくれるのです。


普段から愚痴、不平不満、悪口、文句、泣き言を口に出している人は、それをいいたくなるような現象を実現してくれます。


逆に、嬉しい、楽しい、幸せ、ついてる、ありがとう、大好きと言っている人は、それを言いたくなるような現象を実現してくれます。


で、守護霊さんは、私たちには見えないのですが、自分の存在に気づいて感謝してくれると、とても喜ぶようです。


守護霊さんは、別名・御蔭様(おかげさま)というらしい。


ですので、誰かから「すごいねえ!」と言われたら、「おかげさまで、ありがとうございます」と言うと、守護霊さんが喜んでこれからもどんどん助けてくれます。


しかし、「今まで私は頑張ったからです」とか「実力です」などと傲慢なことを言っていると、守護霊さんは悲しくなるようで、「じゃあこれからは一人でやってください」と、次回からは、自力で努力して一生懸命頑張らなくてはいけなくなるようです。


感謝をすると、守護霊さんが喜ぶ。


感謝すると、守護霊さんのエネルギーがアップします。


感謝しましょう。

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2009年03月30日

低レベルの波動・・・

今回は、無くなったと思われている『魂の修行』です。


このカテゴリーの話は信じて頂かなくても結構なので、色々書きます。


これから少しずつ『魂の修行』も更新していこうかな、と思っています。



まず、昨年の話。


私はよく日本で一番有名なテーマパーク(Dランド)というところに、デザインや色使いの勉強をするために写真を撮りに行くことがあります。


このまえ行った時、ポップコーンの屋台を何気なく写しました。


帰宅してよく見てみると、屋台のガラスには映るはずのない女の子の顔がくっきりはっきりと写っていて、私のカメラの方を向いていました。


お!これは心霊写真というものだな、と思いました。


よっぽどDランドが好きな子だったようです。


どうやら私たちが生きている世界以外にも、違う世界があるらしいのです。


あの世と言ったりもします。


霊というのは、エネルギーというか波動らしく、自分の波動と合ってしまった場合は見えたり写真に写ったりするらしいです。


よく怖い話をしていて背中がゾクゾクっとするのは、そういうあの世に行けずにさまよっている波動が寄ってくるからだそうです。


怖いと思っている自分の心の波動と、さまよっている波動とチャンネルが一致してしまうのです。


他に、こんなときもレベルの低い波動たち(浮遊霊)が近寄ってきます。


例えば、怒っているとき、悲しんでいるとき、イライラしているときなどです。


それらの感情がどんどんエスカレートしていくと、自分でもコントロールが利かなくなってきます。


そうするとその浮遊霊たちは、「殺せ」などと囁くようです。


犯罪を犯した人たちが捕まって、「耳元で殺せと言う声が聞こえた」とニュースで見たりしますが、あれは本当に聞こえるようです。


毎日、心をネガティブにして、怒ったりイライラしていると変な霊が寄ってくるので注意が必要です。


ですので、現代はストレス社会だと言われていますが、自分の感情をどのようにコントロールして楽しく生きていくかが、すべての人の人生のテーマらしいです。


自分に起こった現象を、どのように見るかということです。


いつも笑顔でニコニコしていると、上からレベルの高い波動の精霊が降りてきます。


いつもイライラして、怒っていると、下から魔王が上がってきて、更に続けていると、大魔王が上がってきて取り返しのつかないことになってしまいます。


なので、いつも笑顔で明るく生活したいものです。


浮遊している低レベルの波動についてでした。

 


posted by ハナムラ・ヒロユキ at 01:41| 魂の修行

2007年08月12日

アメリカインディアンの教え

子供たちはこうしていき方を学びます。

 
 批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。

 敵意にみちた中で育った子は、誰とでも戦います。

 ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。

 ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。

 心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。

 はげましを受けて育った子は、自信を持ちます。

 ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。

 公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。

 思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。

 人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。

 仲間の愛の中で育った子は、世界に愛をみつけます。


作・ドロシー・ロー・ノルト/訳・吉永宏



参考文献:
アメリカインディアンの教え / 加藤諦三

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2007年07月20日

ブロークン・ウィンドウ理論

 1969年に、スタンフォード大学の心理学者、フィリップ・ジンバルド教授が面白い実験をしました。

 街の中で最も治安のいい場所を選びます。

 そこに2台の自動車を放置しました。

 一台は「ボンネットを開けっ放しの状態」の自動車。もう一台は「ボンネットを開けっ放しの状態 + 窓ガラスが割れている状態」の自動車の2パターンです。

 さて、どのような結果が出たのでしょうか?

 ボンネットを開けているだけの自動車は、一週間、特に何も起こりませんでした。しかし、その状態に窓ガラスが割れた状態の自動車は、10分後にはバッテリー、続いてタイヤもすべて持ち去られました。更に、落書きや破壊が行われて、一週間後には完全にスクラップ状態になってしまったそうです。

 窓ガラスが割れた状態をプラスするだけで、それがなかったときと比べて、略奪や破壊の可能性が非常に高くなるのです。しかも、略奪や破壊活動は、短期間のうちに次第にエスカレートしていく、ということがわかったのです。

 治安も環境もいい地域においても、窓ガラスが割れている自動車を放置しておくと、無秩序、無関心を増幅させ、善良な市民が一変して略奪者になってしまうのです。ただガラスが割れているというだけで・・・。


 この話は、私たちの実生活で、何の役に立つのかというと、掃除です。

 例えば、自分の部屋、仕事場、机の上などが少しでも乱れていたり、汚れていたりすると、その状態を増幅させるような行動を無意識のうちにとってしまうのです。部屋の片隅が乱れているというマイナスの状態が、マイナスの磁場を作り上げ、そこを利用する人の心にも影響を与えてしまいます。ちょっとしたことでも、きちっと整理をしておくと、身も心も爽やかな生活ができるようです。

 また、1920年代、アメリカのニューヨーク市では、年間に60万件以上の重犯罪が起きていました。そこを何とかしようと、ブロークンウィンドウ理論のような対策が施されました。

 どのような対策であったかというと、重犯罪を取り締まるのではなく、落書きや無賃乗車などの軽犯罪を徹底的に取り締まったのです。この軽犯罪こそ、先程の「割れた窓ガラス」と同じ状態なのです。地下鉄では、交通局の職員総出で、約6000もある車両一面に書かれた落書きを消す作業を行いました。

 これで、犯罪の75%を激減させることができたのです。

 人間は、大きなもの、大きな出来事、インパクトのあるものに、目がいきます。目に付きやすいものに振り回されてしまうのです。しかし、すべては小さなところから始まっている、ということに気づかねばなりません。

 マイナスエネルギーの元になった、小さな「まあ、いいや」を取り除くことで、マイナスの空間を作り出さずに済み、心地よい生活ができるのだと思います。



参考文献:
成功を加速する「そうじ力」 / 舛田光洋

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2007年06月08日

空き巣が入る家の共通点

 最近、警察官の友人(大学空手部時代の同僚))とお酒を飲んでいて、大変興味深いことを聞きました。そのことは以前、本を読んで「へえ、そうなんだ〜」と思っていていましたが、その本を読んだことがない彼から同じ事を聞いたので確信しました。

 それは何かというと・・・、

 空き巣が入ったり、事件が起きる家に共通することがあるらしいのです。それは「水まわり、特にトイレ、台所がものすごく汚かった」ということです。

 空き巣狙いは、水まわりが汚い家に引き寄せられるようで、そのような家の乱れた波動をキャッチして、入ってきてしまうのかもしれません。トイレ、お風呂場、キッチン、洗面所をいつもきれいにしておくと、空き巣が入ったり、事件が起こらないだけでなく、自分が幸せだと感じることが起こるようになります。私自身、毎日掃除しているので、困ったことなど起こらないし、幸せを感じて生きています。掃除をすることで、心の整理整頓ができてしまうので、頭がパニックになってしまうという人は、毎日楽しく掃除をすると落ち着いた考え方ができるのかもしれません。

 特に、みんなが嫌がる「トイレ掃除」をすると、心の汚れが取れて、人格レベルが上がっていくそうです。いつもピカピカっていいですよ〜。

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2007年05月05日

マルハナバチ

マルハナバチという蜂がいます。

 マルハナバチは羽が小さいうえに胴が異様に太く、航空力学上は絶対に飛べないと言われています。しかし、現実には、花から花へと飛び回り、空中静止やアクロバット飛行までやっています。

 なぜマルハナバチは、飛ぶことができるのでしょうか?

 答えはたくさんあるかもしれませんが、その一つに、マルハナバチは航空力学などというものは知らないので、自分は飛べないなどと思っていないということです。生まれたときからまわりの仲間はみんな自由に飛んでいるので、飛べるのが当たり前だと思っています。ですから、飛べるらしいのです。

 しかし、マルハナバチが高度な知能を持って「僕たちって、航空力学上では飛べないんだって・・・」と知ってしまうと、突然飛べなくなってしまうのかもしれません。

 私たちは生まれたときから「自分はこういう人間なんだ」と勝手に決め付けてしまうので、ずっとそのようにしか生きられないのかもしれません。マルハナバチのように航空力学(消極的な世間の常識)がどうであろうと関係ない生き方をすると、潜在能力を発揮できるのかもしれません。

 
posted by ハナムラ・ヒロユキ at 00:00| 魂の修行

2007年03月20日

殿様よりもいい暮らし

 最近、友人から「今の日本人は昔の殿様よりもいい暮らしをしてるよね〜」と聞きました。確かにそうだと思いました。

 昔の殿様は、暑くてもクーラーの効いた涼しい部屋にいることはできなかったし、移動するときは車も新幹線も使えませんでした。食べ物も昔よりバラエティーが豊富で、世界中のおいしいものがスーパーで手に入ります。医学も進歩して病気も治せるようになってきました。

が、しかし・・・なぜ不満が多くなってしまうのでしょうか?

 世の中の便利さに慣れてしまっているからだと思います。

 私は開発途上国に住んでいたので、不便な経験をたくさんしてきました。

 洗濯は、手で洗います。バケツに洗剤と水を入れ、ゴム手袋をはめてバケツの中をかき回し、洗剤を溶かします。まずはタオルから上着、下着、靴下の順番で押し洗いします。しっかりと絞らないと洗剤が残ってすすぎに時間がかかるので、思い切り固く絞ることが重要です。そのあと水で2回ほどすすいで絞って終わりです。干すときは腕がパンパンにはっていましたが、空手のトレーニングだと思い淡々と洗濯修行をしていました。手で洗うと早く衣類が傷んでしまいますし腕が疲れるので、洗濯機があれば指一本でいいのに・・・、と夢見ていました。

 電気はときどき停電したので、懐中電灯かろうそくが必要でした。田舎の電気もないようなところは日暮れとともに生活が終わります。テレビも電気もインターネットもない暮らしをすると暇になって、生活にポッカリ穴が開いたような気がしました。そんなときは外に出て星を見たり、植物が風で揺れる音などをぼーっと聞いていました。ぼーっとしていると日本で暮らすみんなのことを思い出しました。懐中電灯で本は読みにくいのでろうそくにしましたが、火は揺れてこれまた読みにくいし、そのまま寝てしまって火が燃え移ったら怖いので読書もあきらめました。原始人は夜はどのように過ごしていたのだろうかと想像しているうちに眠りについていました。

 シャワーも水しか出ないところは、浴びる前に心の準備をして気合を入れます。最初は心臓から遠い手から・・・、などと少しずつやっているとなかなか浴びることができないので、一気に飛び込みます。すると体の底から「あ”あ”あ”〜〜〜!!」というクセ者の雄叫び(おたけび)が聞こえてきます。ちなみに湯船に浸かった気持ちがいいときの「あ”あ”あ”〜〜〜」とはちょっと違ったトーンです。湯船に浸かったときの感動と有難さは、帰国してから今日までずっと続いています。

 まだまだたくさんあるのですが、私はこれらの不便な体験をすることで日本で生活する便利さと快適さに気がつくことができました。

 不便なことが起きたら便利さを気づかせてくれるチャンスだと思うと、ものの見方が変わって天国にいると思えるのではないかと私は思います。


 
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2007年03月12日

悩める人々への銘

大きなことを成し遂げる為に、
強さを求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことをできるようにと
健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世に人々の賞賛を得ようと
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

人生を楽しむために
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために 人生を賜った

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは全て聞き届けられた
私は もっとも豊かに祝福されたのだ

                   作者不詳


 人生における色々な出来事は実は自分を苦しめているのではなく、学びや喜びを提供してくれているということがこの詩からわかります。私たちはどれだけ、物事の裏側に隠された喜びを見つけることができるのでしょうか。

 
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2007年02月20日

アイロン

 米ソの冷戦時代のことです。ある日、ソ連の諜報部員が友人の家を訪れました。見ると彼の両耳は包帯でぐるぐる巻きになっています。友人はたずねました。

「いったいどうしたんだい?」

諜報部員が答えました。
「シャツにアイロンをかけていたら、いきなり電話がなったので、思わずアイロンを耳に当ててしまった・・・」

友人は更にたずねました。
「もう一方の耳は?」

「こっちは救急車を呼ぼうとしてやってしまった・・・」


 人はいったんこうだと思い込むとそれ以外のものが見えなくなってしまうことがあります。他にも選択肢があるのですが・・・。冷静になることが大切ですね。

 
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猫と僧侶

 ある老僧が毎朝、日の出前に祈っていました。毎日お祈りが始まると決まって猫がやって来て老僧に身体をこすりつけるので、気が散ってしょうがない。

 ある日老僧はひもを持ってきて、祈りを捧げているあいだ猫を祭壇にくくりつけました。それから長いことそれを繰り返し、やがて老僧は亡くなりました。

 すると若い僧が老僧のやり方を引継ぎ、毎朝祈りを捧げているあいだ、猫をひもでくくりつけるようになりました。ある日、猫が死んでしまったので、僧たちは代わりの猫を連れてきました。それから百年ものあいだ、延々と猫は祭壇にくくりつけられました。


 やがてある人が言いました。
「こんなことをするのは馬鹿げている!猫の像を飾ればいいではないか!」

そこで僧たちは猫の像を手に入れ、祭壇の一番下に祀(まつ)りました。


それから百年が過ぎ、ある僧が言いました。
「なんという美しい猫の像だ!これはとても古くから伝わる由緒あるものだ。これを祭壇の一番上に飾るべきではないだろうか」


そして百年もが過ぎ、僧たちは膝をついて猫の像をあがめました。
なぜそのようなことをするのか、誰もわからないまま・・・。
しかしずっと昔からこうしているのだから、きっと何か理由があるはずと皆が思っているのでした・・・・。



 私たちの日常生活でもこれと同じようなことが行われていないでしょうか?当たり前だと思ってやっていることも、よく考えるとおかしなことがたくさんあったりします。立ち止まって見直してみると新たな発見があり、良い習慣を身につけることができるかもしれません。

 
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2007年02月15日

人生で最も重要な時と人物

 昔々、ある国に美しい王子様がいました。富と権力に恵まれているというのに、王子には悩みがありました。それは、

◎人生で最も重要な時はいつなのか?
◎人生で最も重要な人物は誰なのか?

というものでした。どうしても答えが欲しかった王子は、国内外の優秀な哲学者から答えを募りましたが、満足のいく解答はありませんでした。するとある人物が王子に教えました。

「ここから何日も旅をしていくと山があり、その山のなかに大変な賢者が住んでいます」

王子はそれを聞くとすぐに旅立ちました。

賢者が住む山のふもとに着くと王子は農夫の格好をして、賢者の住む粗末な掘っ立て小屋にたどり着きました。賢者は裏の畑で足を組んで地面に座り穴を掘っていました。王子は話しかけました。

「あなたはとても賢い方でどんな質問にも答えられると聞き、はるばる遠いところからやってきました。私の人生で最も重要な人物は誰なのか、最も重要な時間はいつなのかを教えていただけませんか?」

「じゃあ・・・、いもを掘るのを手伝ってくれ。掘ったいもは川に運んで洗うのだ。わしが湯を沸かすから、いっしょにそのスープを食べるといい」

と賢者は言いました。王子は試されているのだと思い、賢者の言われたとおりにしました。

 そのまま数日間をそこで過ごし回答を待ちましたが、いつになっても答えは返ってきませんでした。王子の怒りは爆発し、紋章を取り出して自分はこの国の王子であることを名乗りました。王子は賢者に向かって言いました。

「このインチキ・ペテン師野郎め!お前なんかと過ごしたおかげで人生の何日かを無駄にしてしまったではないか!!!」

賢者は答えました。

「・・・・・・?最初にお会いしたときにあなたの質問にはお答えしたはずですよ・・・。だけどあなたは私の答えを理解しなかったのです」

「何だと!この野郎!どういう意味だ!!」

と王子が言いました。すると賢者は、

『あなたがここにいらしたとき、私は歓迎しました。そして自宅を提供しました。過去はもはや過ぎたこと、未来は存在していない。それに気づきなさい。

あなたの人生で最も重要な時間は「いま」なのです。
そして人生で最も大切な人は「いま目の前にいっしょにいる人」です。

なぜならあなたはその人物とともに人生を分かちあい、経験をともにしているからです』

王子は悟り、涙を流した。


 私たちは「いま目の前にいる人」に関心を示さず、過去に会った人や未来に出会う人のことを考えたりしています。しかし過去の人も未来の人も現時点で目の前には存在していません。昨日の会った人をいま目の前にいないのに抱きしめることはできないし、明日会う予定の人とも目の前にいなければ握手することもできません。

 過去を振り返って心に残っていることというのは、自動車を買った、大金が手に入ったなどといった類のものではなく、誰かと幸せな日々を過ごした、誰かと喧嘩した、和解した、大会で優勝したなど物ではなくすべて人が関係しているものだけです。余命を宣告されたり、死ぬ間際の人が回想するときも人との係わり合いについてだけらしいのです。
 自分の好き嫌いに関係なく、人生に登場する人はすべて重要人物なのです。

 いま目の前にいっしょにいる人とその時間をいかに大切に生きるかが、幸せにつながる道ではないかと思います。


 
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2007年02月12日

人生オセロ

 人生は、オセロに似たところがります。

 例えば、今日彼女(彼氏)ができた、宝くじが当たった、仕事が大成功したなど大変嬉しいことがあり、天にも昇る気分になったとします。すると今まで許せなかった人や過去に後悔していることなど、すべてを許せて受け入れることができてしまいます。未来も明るくなったような気がします。

 反対に、今日彼女(彼氏)に振られた、騙されて大金を失った、仕事で大失敗したとなると非常に暗い気持ちになり、人を恨み自分を恨み、過去の出来事を後悔して、未来も暗くて重くなったような気がします。

 この二つに共通していることは、「今現在の心の状態」です。白が幸せで、黒が不幸だとします。今現在、私は凄く幸せ!と思うと、オセロのように今まで黒かった石がくるくるとひっくり返り、縦も横も斜めも、挟んだところはすべて白になります。でも今現在、私は最悪でついてない!と思うと今まで白かった石の列はすべて黒にひっくり返ってしまいます。心が幸せと感じたり最悪と感じたりしていると、オセロの石のように繰り返しくるくるとひっくり返ります。

 「今、私は何があっても幸せ!」と思うことができれば、明るい過去と未来が神様からプレゼントされるようです。ですから英語で『現在=Present』といいます。明るい過去も未来も、暗い過去も未来もすべては現在の心しだいということです。


 もう一つ、私たちは色々な物事について、すぐに白黒(良し悪し)をつける習性があります。

 例えば、病気になってしまったら最悪だと思います。でも病気になったことで、まわりの人のやさしさや今まで当たり前にしてきたことが実は大変ありがたいことだったと気づいたら、病気になったことですばらしい体験ができたので良かったと思います。

 ということは、物事には前半部分と後半部分があって、前半部分だけで判断してそれがすべてだと思ってしまうと、不幸になってしまうのではないでしょうか?前半だけですべてだと思ってしまうと、前半が長引くので後半はなかなかやって来ないのです。「あっ、これはありがたいことなんだ」と気づいた瞬間から後半部分が始まるようです。気づくまではずっと前半部分が続いてしまいます。

 ゲームの途中だと石を置く場所がたくさんありますが、白を置く場所がないときは、仕方なく黒に譲らなければなりません。この待つときが苦しいのですが、そのあとには白が打てる番がくるのです。このように四苦八苦してオセロゲームをするのですが、人生のオセロは実は、一人でやっているということに気がつきます。空いているスペースに白を置くか黒を置くかは自分しだいで、白を増やしたいと思ったら黒を減らす手を打てばいいわけです。一人でやっているので、どんなふうにゲームを進めるかは自由なのです。

 自分が死んだときがゲームオーバーです。そのとき人生のオセロ盤の上は果たして、白が占めているか黒が占めているか。

 さあ、今現在の私たちの心は・・・。心はコロコロ変わりますからね・・・・。

 でも、これもお釈迦様が説いた「色即是空」というもので、ニュートラルなものを私たちが好きなように見ているだけですから、白も黒もないんですよね〜。

 またまたニュートラルな結論になってしまいました・・・。

 
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2007年01月28日

生き残った人たちの共通点

 絶体絶命の危機の状況で、周りの人は死んでいくのに助かった人たちがいます。死んでしまった人が持っていて、死ななかった人が最後まで持っていたものとは・・・。

 「運」でしょうか?それもあるかもしれませんが、違います。

 それは絶対に生き延びるんだという強い「希望」でした。

 最後まで絶対に希望を捨てなかった人が、最後まで生き残ったというのが「共通点」でした。逆に「希望」を失った人から身体の機能が低下してきたり、不運と言われるような物事が起きたり、その場に適していない誤った行動をとり命を失いました。

 アウシュビッツ強制収容所で生き残った人たちも、最後まで「希望」を捨てなかった人が多かったようです。

 日常生活でも生きる「希望」を失った人から、体調を崩して病気がちになったりするのかもしれません。

 「希望」はエネルギーの源なので、生き延びたかったら最後まで大切に持っていたほうがいいようです。


追伸:
 お釈迦様のように悟りを開いた人というのは、「生きる」「死ぬ」ことに執着がないので、死に直面しても恐怖はないようです。「生きられるんだったら生かされよう。死ぬのだったら仕方がないから受け入れよう」という感じで淡々としていたのかもしれません。そんな生き方もあるようです。


 本文と追伸が矛盾してしまいました・・・。


 
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